THE JAPAN PRESS

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イラク モスル ISISとの激しい戦闘の合間にスマートフォンをいじるイラク軍戦闘員
2017 Kazutaka Sato
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バーミヤン 2001年にタリバンに破壊され今はその姿を見ることはできない
2000 Kazutaka Sato
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ウクライナ ドネツク 自爆用手榴弾を首にぶら下げたロシア人義勇兵
2016 Kazutaka Sato
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モスル近郊の避難民キャンプ 携帯電話などをチャージする電気屋
2017 Kazutaka Sato
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コソボ セルビア人に殺されたアルバニア人の集団墓地で行方不明の家族を探している
1998 Kazutaka Sato
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サラエボ 子供たちは廃墟となったホテルで遊んでいた
1993 Kazutaka Sato
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バーミヤン その昔、僧侶たちが修業した洞窟で暮らす避難民
1997 Kazutaka Sato
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アフガニスタン北部 国技ブズカシの騎手
2000 Kazutaka Sato
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ISISが立て籠るモスルから家族と脱出してきた男
2016 Kazutaka Sato
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ウクライナ ドネツク国際空港
2016 Kazutaka Sato
0001 
タリバンと対峙する北部同盟。最前線基地
2001 Kazutaka Sato
0002 
ISISの人間の盾となっていた少女
2017 Kazutaka Sato
0003 
ISISから開放されたモスルの街
2017 Kazutaka Sato
0004 
囚われたタリバン兵
2000 Kazutaka Sato
0005 
ISISが立て籠るモスル旧市街から脱出してきた親子
2017 Kazutaka Sato

News

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佐藤 和孝佐藤 和孝Kazutaka SATO

1956年北海道生まれ。横浜育ち。1980年旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻を取材。ほぼ毎年現地を訪れている。2001年9月11日、アフガニスタンで取材中にアメリカ同時多発テロが発生。国連やNGOの外国人職員が国外へと退去するなか現地に留まり、日本テレビの中継などを通じて報道を続けた。

他に、ボスニア、コソボなどの旧ユーゴスラビア紛争、フィリピン、チェチェン、アルジェリア、ウガンダ、インドネシア、中央アジア、シリアなど20カ国以上の紛争地を取材。写真とペンに加え、90年より報道ドキュメンタリーも制作。NHK日曜スペシャル、日本テレビのニュース番組などでドキュメンタリーの制作や現地からの中継を行なっている。

2003年度ボーン・上田記念国際記者賞特別賞受賞(イラク戦争報道)。主な作品に「サラエボの冬~戦禍の群像を記録する」「アフガニスタン果てなき内戦」(NHKBS日曜スペシャル)著書「戦場でメシを食う」(新潮社)「戦場を歩いてきた」(ポプラ新書)

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山本 美香山本 美香Mika Yamamoto

1967年山梨県生まれ。1990年朝日ニュースター入社。報道記者・ディレクターとして雲仙普賢岳の災害地などを取材。 90年から小型ビデオを使ったビデオジャーナリズムの手法でドキュメンタリーやニュース番組を制作。 95年からジャパンプレスに所属。03~04年には日本テレビのニュース番組「きょうの出来事」のキャスターを務める。96年からタリバン支配下のアフガニスタンの取材を続け、女性たちの暮らしをリポート。タリバンへの取材も行う。他に、コソボ、チェチェン、インドネシア、ボスニア、ウガンダなどを取材。

2001年アフガニスタン報道で日本テレビ社長賞受賞
第26回野口賞受賞(2002年)、2003年度ボーン・上田記念国際記者賞特別賞受賞(イラク戦争報道)、ウーマン・オブ・ザ・イヤー2004キャリアクリエイト部門賞受賞(2004年)、日本女性会議2006基調講演(2006年)

2012年8月20日、シリア内戦の取材中、アレッポにてシリア政府軍の銃撃を受け、逝去。

山本美香記念財団

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藤原 亮司藤原 亮司Ryoji FUJIWARA

1967年大阪生まれ。1998年より継続的にパレスチナ・イスラエルおよび周辺国においてパレスチナ問題の取材を続ける。他に、シリア、ウクライナ、レバノン、イラク、アフガニスタン、バルカン半島ほか、主にイスラーム圏諸国における紛争や抑圧下で生きる人々を取材。国内では在日コリアン、原発事故及び震災に関わる人々の生活風景を記録している。

著書に「ガザの空の下 それでも明日は来るし人は生きる」、安田純平氏との共著「戦争取材と自己責任」(ともにdZERO刊)

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Publication

タリバンの眼(め) 戦場で考えた佐藤 和孝(2021)
2021年、イスラム主義組織のタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧した。01年、アメリカ・イギリスのアフガニスタン空爆から20年後のことだ。アメリカ軍のアフガニスタン撤退は、1955年から75年まで同じく20年を費やしたベトナム戦争以来の「完全敗北」。歴史の大転換点といってよい。アメリカは、いったい何を間違えたのか。
戦争取材と自己責任安田 純平+藤原 亮司(2019)
2人は紛争地を中心に取材活動を続けているジャーナリストであり、友人でもある。3年4か月にわたる監禁に耐えた安田、安田の拘束中、友人の安否を気遣い、国外にも足を運んで情報収集に奔走した藤原。2人の共同作業で向き合う拘束事件、戦争、私たちの社会。語り下ろし(対談)と書き下ろしで構成。
戦場を歩いてきた佐藤和孝(2017)
戦場で起きているのは、殺し合いだけではない! 50枚以上の秘蔵カラー写真が伝える戦場でたくましく生き抜く人びとの営み。
ガザの空の下藤原亮司(2016)
紛争が長く続くなか、筆舌に尽くしがたい過酷な環境で生きるガザの人々の深い悲しみと強い怒り。 一方で、日本人の私たちと同じような日常と人生がある。「それでも明日は来る」ことは希望なのか残酷なのか。
これから戦場に向かいます山本美香(2016)
伝えたい。人間として、ジャーナリストとして。2012年8月、シリア内戦を取材中に銃弾に倒れた戦場ジャーナリスト・山本美香からのメッセージ。
戦争を取材する山本美香(2011)
少年達の未来を信じたい! 地雷で脚を失ったアデム、ゲリラに誘拐され兵士にされたターティ、目の前で友達を殺されたアブドゥヌール……。明日をも知れぬ毎日ですが、それでもみな、一日一日を懸命に生きています。
山本美香が伝えたかったこと山本美香(2014)
女性ジャーナリストが紛争地や被災地へ足を運び、伝えたかったこととは何か。山梨日日新聞紙上の寄稿・取材・インタビューを集成し、故・山本美香さんのまなざしを辿る。
山本美香という生き方山本美香(2013)
イラク戦時下のバグダッド潜入レポートと、公私にわたるパートナーであったジャパンプレス代表・佐藤和孝氏への取材を通し、国際ジャーナリストとして、そしてひとりの女性として鮮烈に生きた彼女の素顔に迫る。
ザ・ミッション山本美香(2016)
戦場のただなかで、災害の現場で、ひたすら人々の生と死を取材し自らの使命を問いつづけついにシリア、アレッポで凶弾に斃れた女性ジャーナリストの最後のメッセージ。2012年春、早稲田大学での講義の記録。
戦場でメシを食う佐藤和孝(2006)
死と隣りあわせで人は何を食べるのか? 戦場からの中継でお馴染みのジャーナリストが食べることに拘り、世界の紛争地に生きる人たちの実態を迫真レポートする。

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